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母が亡くなった…

10月31日午後2時20分に私の母が癌で亡くなりました。
享年72歳でした。
とても元気な人で病気とは無縁と思っていましたから正直現実感が湧きません

このブログで母の事を書くかどうか悩みましたが、悲しくて苦しくてどこかに吐き出したいという想いから癌発覚から死亡までの経緯をブログに残そうと思います。

事のはじまりは今年の7月はじめでした。
ダイエットしてた母の下腹だけがポッコリと膨らんでおり気にした本人を兄がかかりつけの近所の主治医のいる町医者に連れて行きました。
そして仕事してる最中に突如兄から電話があり「すぐお医者さんに来い、お前もお医者さんの話を一緒に聞け」と言いました。
嫌な予感がしたので急いでかけつけて一緒に主治医の先生の話を聞くとお腹の膨らみは腹水と言い、癌で発生するものだと青ざめた顔で話してくれました。
卵巣癌の可能性が高いらしくすぐに大病院であるS病院に紹介状を書いてくれて今日中に行った方が良いと言われました。
自体はかなり深刻なんだなとわかり、すぐにS病院に連れて行ったら検査しないとわからないとの事でCRTを撮り一週間後に来てくれと言われその日は帰りました。
母自身は「お腹が少し苦しいだけで他は何とも無いのよ」と言っていましたが癌特有の腹水という事から癌である事は明白でした。
できれば症状が軽ければ良いなと思っていましたが腹水で検索するとほぼ末期である事が多いと書かれており私の心を重くしました。

そして忘れもしない一週間後の7月15日、兄と母が結果を聞きにに病院に行き、帰ってきた時のあにと母の鎮痛なかおは今でも忘れられません。
結果は卵巣癌レベル4で肝臓、脾臓、大腸、子宮に転移してるとの事でした。
結果を聞き愕然とし、涙が溢れました。

放置しておくと余命2、3ヶ月との話だったのですが担当医の先生はお母さんは元気なので抗がん剤を打ちましょうと言いました。
今の抗がん剤はよく出来ており副作用もほとんど来にならないレベルで働きながら抗がん剤投与をしてる人も沢山いるという話でした。
とりあえず全6回を予定しており卵巣癌が小さくなったら切除しようという話をされたそうです。
それでとりあえずかなりの延命ができるかもと希望を持ちました。
そして抗がん剤投与は早速来週からはじめましょうねと言われて帰ってきて翌週病院に行ったらやっぱりMRIでもっとよく検査した方が良いと医療チームの話合いで決まったのでMRIをやりますと言われました。
その週はMRIだけで来週から抗がん剤と言われました。
ところが更に翌週行くとチームで胃も見た方が良いという話になったから胃カメラをやりますと言われその週は胃カメラだけで終わりになりました。
胃に関しては後で聞かされた話では近所の主治医の先生が数ヶ月前に胃カメラで何も無い事を確認してるので胃は大丈夫だと紹介状に書いておいたそうですが、それなのに胃カメラで一週間を潰しました。
これで末期癌発覚から一ヶ月放置された事になり、そこでようやく検査入院から抗がん剤を打つ日程が決まりました。
正直な話、末期なのにそんな呑気に一ヶ月も放置して良かったのかと気になりました。

そして検査入院3日の日程で初日に腎臓の検査をしOKなら翌日抗がん剤投与という事になり入院しました。
ちなみに入院までの一ヶ月の間、腹水が苦しいので毎週抜いてもらっていたのですが、腹水を抜く度に母は体力をなくしていき入院する頃にはすでにフラフラでした。(腹水には必要な栄養も含まれるために抜くのも慎重にならないといけないらしい)
そして初日に病院で出された食事をしたら食あたりをおこしたのか数時間後に大下痢をしてしまい、母が先生に万全の状態で抗がん剤を打ちたいから延期してくれと申し出たのですが血液検査の結果「軽い大腸炎なので抗がん剤やっても平気です」と言い翌日予定どおり抗がん剤を打ちました。
その日は何でもなく過ごしたのですが翌日は吐き気に襲われよく吐いてました。
当初抗がん剤は最初だけ入院して後は3週間ごとのか予定で打つ予定でした。
ところが入院から帰ってきた母は碧の液体を吐き続けました。
おかしいと思い病院に電話すると急いで連れてきてくださいと言われ連れて行ったら今度は「軽い腸閉塞になってますね」と言われ再度入院になりました。

軽い大腸炎、軽い腸閉塞、どっちも多分誤診だったのでしょう。
腸閉塞は癌に腸を圧迫しておきたものでイレウス管という緑色の太いチューブを鼻から腸まで通されました。
この時点で母は自力でトイレに行けなくなり寝たきり状態になりました。
抗がん剤を一ヶ月も遅れて打ち、食あたりをおこしてるのにも関わらず投与した医師に不信感を抱きつつも仕方なく経過を見守ると入院4日めあたりから母の容態が急変しすさまじく具合が悪くなり見舞いに行った和たちと兄と父に「苦しいから私を殺して」と懇願してくるようになりました。
この言葉を言われた日は泣きに泣きました。
気丈で強い母がこんなになってしまうなんてと…。
どうしてこんな事になったのかと医師に聞くと抗がん剤で免疫力が落ちて腸の最近が悪さして重度の感染症をひきおこしたので命が危ないと言われました。
正直この時点で駄目だこの病院と思いましたが今更仕方ありません。
一応様々な点滴を使い母は一命をとりとめましたがイレウス管はいれられたまま、腸閉塞はなおっていないので何も口にできず、動けず見ていてとても辛かったです。
自営業なので暇をみつけては見舞いに行ってましたが、母はもう病院の生活が嫌で嫌で仕方なかったようでした。
そしてときおり主治医の先生に別室に呼ばれると現在の病状を聞かされましたが毎回絶望するような嫌な情報ばかりでした。
入院して一ヶ月が経とうとした頃に抗がん剤によって癌が多少小さくなり腸がわずかに通ったのでイレウス管が抜けました。
この日はとても嬉しかったですし本人も嬉しそうでした。
そしてまた病状の説明を受けたのですが、抗がん剤はどうやらよく効いたらしい事がわかりました。
しかし副作用のせいで感染症を引き起こしたので2回めからは2つ使った抗がん剤を片方だけにし、なおかつ量を半分以下にし一週間に一度投与すると言い出しました。
それはすなわち退院など永久にできないという宣告でした。
しかも硬貨がでるかも保証出来ないし、また同じ副作用が出るかもしれないと言われました。
この時点で兄と相談し、母を退院させて家で緩和ケア…終末医療に切り替えようと決めました。
母本人も死ぬなら家が良いと言っており退院したいと強く願ったので迷わずに医師に告げると退院して具合悪くてまた運ばれてきたらもう退院できないよ?という旨の説明を受けました。
それでも退院しますと強引に話をすすめ、近所の在宅看護サービスと往診してくれる医師と連携して緩和ケアができるようにし退院させてきました。
入院から約1ヶ月後の事でした。

9月1日に家に帰り、最初は満足に動けなかった母ですが9月中盤には歩いて自分でトイレに行けるようになり、頻繁にあった吐き気もほとんど止まり調子がよくなりました。
血圧も病院にいた時は常に170くらいあったのに120程度まで下がり平常値になり漢方視点から癌に効くと言われている紅豆杉を飲ませているおかげかも!と兄ともども喜びました。
この頃にお風呂にはいれてなかったので兄ともども二人で協力してお風呂に入れてあげました。
「子供にお風呂に入れてもらえて私は幸せだわ」といっていたのが印象的でした。
ちなみに紅豆杉は退院直後から毎日飲ませていました。
一応説明では癌だけを攻撃し分裂を阻止し自然死に導くので副作用のない自然の抗がん剤との事で15日分で約9万円するお高い薬でした。
怪しいとはもちろん思いましたが藁にもすがる思いで飲ませ続け効果が出てるんだなと思ったのです。

そんな折、往診してくれている医師からこんなに回復したなら抗がん剤もう一度チャレンジできるかもねと言われました。
しかし先のS病院は嫌だったので近所にあるもう一つの大きい病院のK病院を紹介されました。
K病院は昔から評判が悪かったのですが、その医師が言うには昔程悪く無いとの事なので受診してみる事にしました。
それと点滴ももう欠陥がボロボロで打てる場所が無いので旨にポートを開けそこからカロリーの高い点滴を入れられる手術も勧められました。
元気になったとはいえ100kcalしかない点滴とわずかなジュースとすまし汁程度しか飲めない母は衰弱していく一方になるのでカロリーの高い点滴が打てるようになるならと乗り気でK病院に行きました。
結果としてそこの院長は最悪で笑いながら抗がん剤なんてレベル4だと5,6回で効果なくなるし次売ったら副作用で死ぬかもよ?いちかばちかでやってみる?と鼻で笑われました。
ああ、駄目なんだなと思いましたがとりあえず紅豆杉もあるので高カロリーの点滴さえあれば母は延命できると思い旨に点滴ポートを作る手術だけはしてもらう事にしました。
1日の入院が必要でしたが前のS病院とは違い新しく建て替えた病院なので病室も快適で母も笑顔で元気でした。
ですが元気だった母をみたのはこれが最後でした。
退院し、500kcalの点滴を打ち始めたら途端に吐き気が強くなり一時はなくなっていた腹水がみるみる貯まっていきました。
栄養が全て癌にいってしまっていたのです。
これは往診していた医師も予想外だったようで点滴を中止してムクミを取りましょうと言いました。
その日から敵敵は一切しなくなり、ジュースと水くらいしか口にできず、徐々に衰弱していきました。
10月の中盤にはもう歩けなくなり、体を起こす事もできなくなりました。
お腹も痛いといいだし医療用麻薬を大量に使い痛みを抑えての生活になりました。
口数も徐々に減り、「起こして」「寝る」「位置を変えて」くらいしか口にできなくなりました。
見てるのが辛かったです。
医療用麻薬により意識も段々混濁しはじめ、意味不明な言動も増え寝てる時間も多くなりました。
たまに手を伸ばして軽く揺らしてきたので手を握ってほしいんだなという事がわかり握ってあけだりもしました。
そんな中、今まで母に任せてた仕事のフレッシャーと母の死が近い事を悟った兄が号泣してもう駄目だと言っていたら寝てると思っていた母が一言「大丈夫」と言いました。
もう麻薬で正常な思考はできなかったはずなのに大事な事だけは聞こえてるかのようでした。
紅豆杉も結局は効いておらず、誰がみても死が近い事はわかりました。
そんな折、最初に診てくれた主治医の先生御見舞にきて涙を流してくれました。
仕事関係の人たちも御見舞にきてくれて母は嬉しかったかもしれません。
10月28日に寝る時にバイバイと手を振ったら振替してきました。
これがまともに動いた母の最後の姿でした。
翌日から一日中苦しそうな呼吸で寝っぱなしになり、一瞬おきてもすぐ寝てしまうようになりました。
そして30日には一度だけおこしてと目をさまし方を抱いておこしてあげると肩で息をしていて「何か変」と一言い、また寝ました。
翌日の31日朝から呼吸が荒くああ、危ないなと思いつつ仕事をしていました。
丁度私は納品にでかけていたのですが帰りの家に近づいた時に携帯が鳴りました。
直感で母が死んだのだとわかり電話に出ると兄が情けない声で「今どこにいる?」と効いてきたのですぐ側だからすぐ帰る旨を伝え切りました。
帰ってベッドを見ると母はすでに呼吸をしていませんでした。
父が見ていてくれたのですが、丁度といれにいきもどってきて様子がおかしいので手を握った瞬間呼吸が止まったとの事でした。
看取れたのは父だけで兄は胸騒ぎがしてその直後に階下から上がってきたけどすでに事切れた後だったようです。
私はその1分後くらいに家についたので後少し早ければと残念に思いました。

そして在宅看護サービスの方々が手際よく生前好きだった服を着せ、化粧をし、体を綺麗にしてくれました。
在宅看護サービスの皆さんは24時間いつ電話しても対応してくださり本当に感謝してもしたり無いくらいお世話になりました。
その後に葬儀屋に電話し、親しかった人たちにも一通り電話しました。
親しかった人たちはみな線香ほあげて下さり、泣いてくれた方もいました。
最初にみてくれた付き合いの長い主治医の先生も来てくださり涙を流しながら困ったことがあったら私を頼ってくれと私達兄弟を心配してくれました。
母はいろんな人に愛されていたんだなと思いました。

そして今日、母は骨になりました。
マザコンと言われようと母を失った悲しみは尋常ではなく心にポッカリ穴が空きました。
この4ヶ月、何度泣いたかわからないくらい泣きましたが、これんらも情けないくらい泣くと思います。
そして思うのです。
最初に紹介された病院が一週間に一つずつの検査しかしないで腹水をばんばん抜き、抗がん剤投与を一ヶ月も遅らせたS病院でなかったなら母は腸閉塞になる前に癌の進行を止められたのでは無いか。
そして食あたりをおこしてる状態で抗がん剤を投与しなければ腸の感染症などおこさなかったのでは無いかと…。
母はもどってきてからお寿司食べたいなぁと一言漏らした事がありました。
ですから悔しくて仕方ないのです。
医者じゃないので本当のところはわかりません。
でも一ヶ月も遅れなければ腸閉塞には絶対ならなかった筈なのです。
実際入院直前までは普通に食べてましたし抗がん剤はよく効いて癌は小さくなっていたのですから。
後悔しても今更遅いのですがどうしてもそれだけが頭に残ります。
何も食べられず医療用麻薬で痛みはなくとも生ける屍と化していた母は幸せに逝けたのだろうかと・・・。
今年93歳になった父は「母さんに看取ってもらえると思っていたと」泣いていました。
ただ死に顔だけはわずかに微笑んだようにおだやかで、それだけが救いかなと思います。

長文になりましたがこれが母の闘病の話です。
これから立ち直るまでにどれだけ時間が必要かわかりません。
あれだけ楽しんでいた白猫やモンストもほとんど手をつけなくなりました。
何をやっても楽しいと思えず何を食べてもおいしいと思えないのです。
でも母は最後まで私達兄弟を心配していたと思うので頑張って生きていかなくてはなりません。
一日も早く笑えるよう頑張りたいと思います。

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